逆転スペクトル

元ニートでナヨナヨな一児の父が綴る、由なし事。

2歳の娘にマジックを見せてみた

不器用なマジック好き

「不器用を3Dプリンタで印刷して魂を吹き込んだらいっこうの出来上がり」という神様のレシピが天界のクックパッドに上がっているような気がする程度に不器用な私なのだが、そのくせ昔から人に手品を見せるのが大好きで、いくつか軽いテーブルマジックを会得している。
今までは主に、友達との雑談や合同カンパニーなどの隙間時間に披露して面倒くさがられたりしていたわけだが、絶好の観客たる娘が産まれてからというもの、ずっと私は彼女に超魔術を見せたくてウズウズしてきた。

マジックを楽しむ前提条件

では、なぜ今までマジックを見せなかったのかといえば、実は人が手品を楽しむためにはいくつかの前提条件が必要であり、乳幼児であった娘にそれが整うまで、じっと時機をうかがってきたからなのだ。

その「手品を楽しめるために重要な前提条件」とは、

  • 「目の前のものが見えなくなったり触れられないとしても存在し続けている」(対象の永続性)
  • 「同じような条件のもとでは同じ現象がくりかえされるはず」(斉一性原理)

といった、物理法則に関する知識である。

「手に握った100円玉が次に開くと消えたり、何も入っていないシルクハットから鳩が出てきたりすることはあり得ない」という認識が、我々に共通する当然の前提となっているからこそ、その前提から逸脱してみえるそれらの現象が、ハンドパワーと称されるのである。

それでは、そういった物理的知識は何歳ごろから身につくものなのか。
それには諸説あって、例えば有名な心理学者ジャン・ピアジェによれば、生後8〜10ヶ月ごろには対象の永続性の観念が備わっているとされるし、最近読んだ「赤ちゃんの不思議 (岩波新書)」という本で紹介されていた論文によれば、なんと生後5ヶ月ごろからすでに対象の永続性の知識を有していると主張されたりしている。

翻ってこれまで娘と生活してきた実感としては、生後5ヶ月〜10ヶ月なんて段階では、勢い込んでマジックをみせてもキラキラとした目で「で?」と声なき声を返され膝から崩れ落ちるイメージしか湧いてこず、一度マジックを見せる計画は封印することにしたのだが、週明けには空を飛んでるんじゃないかと思わせるほどの勢いで成長する最近の娘を見ていて、やっとマジックを披露する決断を下したという次第である。

こんなマジック見せました

披露した手品は、コインマジック。
右手に持った100円玉が左手の手の甲から手の中に入ってしまい、その後手の甲を叩くと手のひらから下に落下するというもの。このレパートリーは、むかしテレビで木梨憲武扮するMr.ノリックが披露していたもので、当時録画したテープを何度もスロー再生して自力でタネを完全解析したという、個人的な思い入れが深い十八番である。




娘の反応

娘の目の前でマジックを無事に成功させ、さて彼女はどんな反応を示すのかなと注視する私。

すると娘は一瞬の間の後ニヤッと笑い、「まさか初見でタネがバレたのか!」と焦ったが、その次の瞬間、彼女は父親の手のひらから落ちた100円をさっと拾い上げると、自分の手の甲に100円玉をグリグリと力技で押し込み始めた!

骨の音が聞こえてきそうなほどの力強さに、慌てて「あ!これはパパにしかできないんだよー」と言ってやめさせながら、その「この銀色の丸いヤツは手の甲から中に入るに決まってる」という娘の確信の強さに驚いた。

彼女たちの「世界」

彼女の「世界」は、まだ確定していない。
わずか2年あまりの経験の積み重ねをよすがとした彼女の内面に映写されている世界の法則は、目の前の不器用な父親のイカサマ程度で簡単に覆ってしまうほど脆いのだ。

我々が仕方なく受け入れているこの世界の様々な法則に何となく感づきつつも、「次は林檎が天井に落ちるかも知れないし、ポケットを叩けばビスケットが2つになるかも知れない」という、なんでもありうるファンタジックな世界が、まだまだ彼女たちにとっての瑞々しいリアルなのだ。

いずれ娘もさらに経験を重ねて「成長」という名の適応を遂げ、マジックを目にしても「世界」ではなく「父親」を疑い始めるようになるのだろう。なるほど合理的だ。

しかしながら娘には、不確かだけど夢のある期間限定の「その世界」を、今は存分に堪能して欲しいものだと、かつては「その世界」の住人だったはずの父は、願わずにはいられない。多少の羨望とともに。

赤ちゃんの不思議 (岩波新書)

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