逆転スペクトル

元ニートでナヨナヨな一児の父が綴る、由なし事。

そして時は動き出す

子どもが楽しむ姿を見るのは嬉しいものだ。愛しい娘が見せる笑顔は、私にとっての仙豆である。そして今日も私は、娘が楽しみ笑ってくれるよう試行錯誤しながら一緒に遊ぶ。

今日はそんな日々の中で生まれた、我が家の多分オリジナルな「遊び」を一つご紹介しようと思う。

同じ年代の娘以外の子どもさんにもそれなりに通用し、保育園に娘を預ける時にそれを見た保育士さんにも 笑われた 面白がってもらえたので、ある程度の普遍性があるのではないか。

事前に何も用意する必要は無いし、手ぶらでいつでもどこでもスタートできる簡単な遊びなので、是非あなたのご家庭の「遊び」の引き出しに加えて有効活用していただくなり、そのままタンスの中で腐らせていただくなりして欲しい。

名前

その遊びの名前は、

( …って、そういやこの記事を書くまで名前なんて考えた事もなかったぞ…前に保育士さんには「気絶ごっこ」って説明した気もするけど、なんかそれだと誤解されそうだから…そうだな…よし! )

そして時は動き出す

という。
…あ、はい、ジョジョ大好きです。

対象年齢

言葉のやり取りができるようになってきて、「いないいないばあ」では物足りなくなってきた頃。いつまで通用するのかは不明。

基本ルール(の教え方)

  1. 子どもとコミュニケートしてる途中で、親が脈絡なく動きを止める。ディオのスタンドの時を止める能力が発動したかのように。
    ※ 目線を外して口を開けたままにするなど、より子どもに分かりやすく「固まる」のが、コツといえばコツ。
  2. 初めて見せる時は、おそらく子どもは何が起こったのかと不安になり「パパ?」「どうしたの?」などと話しかけてくるが、ここはじっと固まったまま我慢
  3. いずれ耐えかねた子どもが親に物理的な接触を試みてくると思うので、子どもが親の体のどこかに触れた刹那、
    「はっ!ありがと〜。チコちゃんのおかげで元に戻ったよ〜」
    などと、触ってくれたことでまた親の時が動き出したことを大げさに感謝する。

…ここまでの説明で「なに言ってんだコイツ?(´・ω・`)」と思った方も多いだろうが、実際に笑って面白がるのだから仕方ない。そして「もっかいやって!」と何度も何度もリクエストされるのだ。

理論的背景

ドイツの哲学者カントや日本の落語家桂枝雀らが提唱した「笑いは緊張の緩和から生まれる」という「緊張の緩和理論」のフォーマットに則っていると考えられる。

「パパがおかしくなっちゃった(緊張)」→「元に戻って良かった(緩和)」ということで、消えちゃった相手がまた現れ安心して笑う、とされる「いないいないばあ」の系譜にある。

「そして時は動き出す」略して「ソシトキ」の、もう一つの理論的な重要ポイントが、

「緊張状態から緩和への切替決定権が、子ども本人の手に委ねられている」

という点である。ここが受動的な遊びである「いないいないばあ」とは決定的に異なっている。

自分の意思に基づく行動が相手や世界を変化させるということは、それまで受動的なコミュニケーションが主だった彼女たちにとって、我々の想像以上のコミュニケーションのブレイクスルーであり、まだまだ新鮮でエキサイティングな体験なのではないだろうか。

そんな主体的体験を、分かりやすくビビッドな形で呈示するのが、この「ソシトキ」という遊びなのである。たぶん。

応用編

基本ルールで繰り返し、子どもが「ソシトキ」に慣れてきたら次のステージに進もう。

ただしここから先は、子どもの個性によって道が分岐すると思われるので、ここでは我が家における「ソシトキ」の遊びの進化の流れを説明する。

  • 「チコちゃんもやってみたら?」と、今度は親がやっていた役を娘に促してみたところ、少し考えたあとにかなり大げさに私の真似をして、顔を横に向け視線をそらし「はっ!」と口をあんぐりと開けて固まってくれた。その仕草のコミカルさを見た時は、この遊びを開発して良かったと真底思った。
  • ひとしきり笑って時が止まった娘の顔に私がタッチすると、二へへーと破顔しながら「なおった〜」。
  • そしてさらに次の段階として、今度は口を開けて固まる娘を、そのまま放置してみた。すると時が止まっているはずの彼女は、なかなか触ってくれない父の方をチラチラとみて様子を窺い、それでも動かないと、業を煮やしてそんな父の手を取って強引に触らせようとしてきた。
  • そんな必死のアプローチも拒否して放置を続け、どうするのかな〜と思っていると、ついに彼女は自分の手で自分の顔を触り「なおったー」と、まさかの自己解決。止まった心臓を自分でマッサージしやがったキン肉マンジェロニモかよ。ルール無用の彼女は「チコちゃんが自分でやった!」と満足げである。
  • なんだかくやしいので、真似して今度は父が時が止まった自分の顔を触ろうとしたら、そこに娘がサッと割って入って父の顔を先に触り「チコちゃんがやった!」と防衛される。
  • さらにくやしいので、今度は娘が時を止めるや否や父が先にタッチすると、笑いながら「チコちゃんが自分でやるの〜!」と抗議される。なんだこれ。
  • それ以降は「時を止めた相手の顔に、どっちが先に触れるかを親子で競うあう」という謎ゲームへと「ソシトキ」は変貌して、現在に至る。

理論的には「果たして自分が相手に先んじることができるのか?」という緊張を緩和する別の遊びになったと言うこともできるが、楽しいからどうでもいいやそんなこと。 

 

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純粋理性批判 上 (岩波文庫 青 625-3)

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